コウホ地12

#コウホ地 (12)
見晴らし
  • 2日前に来て断られた場所へスケッチをしに来てみた。
  • 「わずらわしいことは嫌いじゃからのう」
    「家の前を通られるのは、嫌だ」
    「畑の道は、隣の家のものだから」
    という事で断られた。
    でも、スケッチするのは構わない、と言ってくれた。
  • 利点としては、木陰がある、乾燥している、
    などあるが、なんといってもここは見晴らしが素晴らしい。
    気持ちいい。
  • 今日は、土曜日だから100円市をやる日だ。100円市は、テントを張った公園の脇の小道を下ったすぐでやっている。8時頃行ったら、いいものは売れてしまったという。5時半くらいから、お客さんが来るらしい。早起きなのだ(トマトとお茶を買った)。そこで、お茶を飲んでいたら、買い物に来た近所の秋山さん()が、朝ごはんを食べさせてくれる、という事になった。
朝ごはん
買い物に来た近所の秋山さんが、朝ごはんを食べさせてくれる、という事になった。
  • 秋山のおばあさん(72才)から話を聞いた。 ハチ
  • 父親は、面倒見のいい人で、子供のころ、乞食がよく来た。乞食のことは「ホイト」と呼んでいた。最後に来ていたホイトは、一本足で杖をついて、ボロを着ていた。首から袋を下げて、そこに米などを入れてもらっていた。ボロの竹の笛を背中に背負っていて、でも力が足りないのか、かすれたような音しか出せなかった。それが「ハチが刺せばブンブン」と聞こえた。秋になるとやってきたのだが、怖くて、おそろしゅうてならなかった。
  • また、父親に似たのか、秋山のおばあちゃんも面倒見のいい人で、最近、油づけで動けなくなっていたカラスを助けた。ママレモン一本使っても、油はよく落ちなかったが、2日程庭で飼っていたら回復した。飛べるようになっっても、近くの工場の屋根から、カーオカーオ、としばらく鳴いていた。まと、散歩していても、カーオカーオ、鳴いて、秋山さんが、カーオカーオ、というと、ずっと返事をしたという。
  • 大正から昭和始めにかけて、ハワイへ出稼ぎ移民する人が多く、父親も2年程行ったし、主人もハワイ生まれだ。サトウキビの栽培をしたらしいが、いい稼ぎになった。そのままハワイにいる人も多かった。カナダやブラジルへ行く人もいた。

土谷さん
  • 公園(地元の人は遊園地と呼ぶ)になる前、古墳だった頃のこの場所に興味を持った。
  • 土谷さんに聞くのがええ、とみんな言ったので、家を訪ねた。
  • 土谷さんは、耳も遠く足も悪かったが、昔の事をよく覚えていた(93才)。 相撲
  • はじめ「なにか売るんじゃろ?」と警戒された。
  • 石の下には、幅150センチ深さは分からない程深い、大きな穴があいていた。それは「火塚」と呼ばれていた。おそらく徳川時代の避難場所で、他にもそれはあちこちにあった。明治の頃、台風でスモモの枝が折れて、それが石を直撃して石が割れてしまった。50センチ×150センチくらい割れて、小さくなってしまった。20人くらいでワイヤーで引っ張って、今の位置に立てた。字(敬神崇祖)は、公園を作る金を出した秋山治土さんが書いた。石ばっかりの山を皆で無料奉仕してならした。広場に集会所が建っていたことがあった。杉の木は、大人4人くらいで囲める程の太さで、畑の半分くらいまで根が張り(30〜50mくらい)、根の上の作物は水や養分を取られるために育ちが悪かった。杉の枝を伝わって、てっぺんまで登ったりした。皆がよく集まって、春・秋の祭りがあった。男の子は相撲、女の子は石の上でままごとをした。


小川てつオ
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丸井隆人

#1年後のコウホ地 (Report-12)
コウホ地12 ここは奥田さんちから100mと離れていないところ。田んぼと川を前にした同じならびにある。
奥田さんのママリンが、「うちの裏に泊まらせてあげりゃーよかったんじゃがー」と言っていた。
家がならびにあるので、畑の後ろに崖があって、栗の木があって、、と奥田さんちの裏手とほぼ同じ構造になっている。でも、僕はなぜか彼が泊まらなかったことにほっとしている。

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